彗星のように落っこちた・前編

 初恋の人がいた。
 そう書くと、よく聞くありきたりな物語になってしまうのだから不思議だ。まぁ実際には、これといった特別なことは何一つも無かったのだけど。
 彼は小学生の時、隣のクラスだった。片手で数えられてしまう程少なかった交流だけど、右目の泣きぼくろがチャームポイントなふわふわとした男の子だったのが印象的で、よく覚えている。きっかけは運動会でたまたま同じグループだったというだけ。運動会の目玉、応援合戦では隣同士で踊って。本当にそれだけである。
 ふわふわとした笑顔を振り撒きながら「頑張ろ」なんて言われた日には恋に落ちていた。馬鹿らしいと言われるかもしれないが、それが事実だった。
 私が起こした行動らしい行動は、小五の夏休み前、最後の登校日に手紙を彼の靴箱に潜ませたことだけ。手紙にしたのは、答えを聞くつもりがなかったから。自分の想いだけを一方的に告げて。夏の終わり、私は住み慣れた街から、初恋の彼がいた街から離れたのだった。

「――……話はこれで終いやねんけど、こんなん聞いて何が楽しいん?」
 頬杖をついて、投げやりに話を打ち切る。私を囲むように座っていた女の子たちからブーイングが上がるけれど、この件についてこれ以上話せることは何もない。大きくなってから再会、とかそんな少女漫画のようなことが現実に起こる、なんてことは有り得ない。……と、思いたかったのだが。実はその初恋の彼もここ――三門にいるだなんて知ったら皆はどんな顔をするだろうか。好奇心を隠さず、誰だか探ろうとするだろうか。その全てが煩わしくて口を閉ざした。そもそもがカードゲームで負けた罰だ。「初恋の話をすること」が罰ゲームだなんて。
 「探して告ったらいい」なんて無責任なことを言い始め、キャッキャッと騒ぎ出したクラスメイトを一瞥する。女の子は恋愛話が大好き。そんな女子特有の空気に耐え切れず、そそくさと逃げだした。
 その足でボーダーにやって来た私がしたことは、柔らかいソファーに背中を沈め、タブレット端末と睨めっこすること。睨めっこした先には、今日これから対戦する相手の記録がある。ちなみに今日は東隊に弓場隊、そして生駒隊との四つ巴の予定だ。タブレット端末に写り込む生駒隊の隊員の中で、一層目を引くのは隊服と揃いの赤色をしたサンバイザー。画面の中ではそれを身に付けた狙撃手がスコープを覗き込んでいた。
「それ隠岐じゃん。なーに?キミも彼にメロメロな感じ?」
「なに言ってんねん」
 後ろから覗き込んできた隊長に思わず噛み付く。普段からおっとりしている隊長は年下の女の子に噛み付かれようがどこ吹く風だ。
「見惚れるのはいいけどちゃんと撃ってよー?隠岐はほっとくと厄介なんだからさぁ」
 そんで人の話を聞かない。まあ、このマイペースさがこの隊長のいい所なのだが。気付いたら来ていたもう一人の隊員も、オペレーターも微笑ましい視線を隊長に向けていた。幼馴染のこの三人で隊を組んだはいいけれど、大学卒業を機にボーダーから離れることにした、と聞かされたのはほんの一ヶ月ほど前の話だ。スカウトで関西から三門までやって来て、右も左も分からなかった私を拾ってくれたこの先輩たちのためにも最後ぐらい役に立ちたい。
 それはそれとして、だ。今日初恋の話をしたからか、今隠岐と当たるのは非常に気まずい。何せ、隠岐こそが初恋の相手だったからだ。まぁ、三門に来た時期もポジションも違う上、クラスも違うためか直接の接点がないことだけが救いだった。出水や米屋繋がりで接点が出来そうになるのを回避しまくって早数ヶ月。ランク戦でも当たることがなくホッとしていたというのに。
「いやー、まさか上位の生駒隊や弓場隊と当たれるようになるなんてね。」
「ウチの末っ子が頑張ってくれたからね。俺たちも負けてらんないな!」
 そう。私の所属する隊は大体中位止まりで、上位に位置する生駒隊とは縁がないというのに。今季に関しては私の調子が良く、ポイントを取ったり生存点を取ったりと活躍してしまったお陰で、初の上位入りを果たしたのだ。結果次第ではまた中位に落ちる可能性もまだあるため油断は出来ないが、それでも今までよりいい成績なのは間違いなかった。
 オペレーターの先輩から頭をわしゃわしゃと撫でられながら、タブレット端末の電源を落とす。先輩たちは騒がしいし、これ以上タブレット端末を見たところで隠岐が気になって集中できやしない。
「じゃあきっちり対策してる末っ子に倣って俺らも作戦会議するか……何か、案ある?」
「…………。」
 無言。隊長が「だよねー」と諦めたようにぼやく。弓場隊の弓場隊長も、生駒隊の生駒隊長もどちらも射程が化け物。攻撃手アタッカーどころか銃手ガンナーの射程外から一方的に攻撃出来るというのは対策のしようがない。その上東隊の東隊長。……ぶっちゃけあの人は例外中の例外だと思う。まともに対策するだけ無駄なような気がしてならない。これもう試合する前からクソゲー確定のような。開始早々に投降するのは駄目ですか?駄目ですよね、知ってました。
 というかそもそもウチの隊が今まで作戦をまともに立てたことがないのを忘れてやいないだろうか。それなのにいきなり作戦を、と言われたって何か出るわけもない。がっくりと肩を落とした隊長の背中をもう一人の先輩がバシッと叩く。
「まぁなるようになれ、だ!」
 ――それってつまり、いつも通りってことですね。了解。

『B級ランク戦 ROUND3 全部隊チーム転送完了!』
 そのアナウンスと共に送り出された先は『市街地A』。今日戦う四部隊の中で、順位が一番下なウチの隊が選んだマップだ。入り組んだ地形も、広くて戦いやすい地形も、どちらもあるのが特徴なこのマップ……つまりごく普通。対策を投げ出したように見えたのなら、それが正解。対策のしようがないので、ある程度臨機応変に戦えるマップを選ぶしかなかったのだ。
 ところでウチの隊の基本戦術は二人いる攻撃手と、私という銃手が組んでの各個撃破、なのだが……今日はとことん上手くいかないらしい。初手で弓場隊長とウチの隊長が鉢合わせ。その上、そこに生駒隊長が乱入。三竦みの乱戦状態になってしまった。そして先輩の方はというと。水上先輩と隠岐の生駒隊の二人、小荒井くんと奥寺くんの東隊の二人に挟まれて孤立。どちらとも合流出来なかった私は宙ぶらりんになってしまった。
 そんな私の方ではというと。弓場隊の神田先輩と帯島ちゃんに挟まれた南沢くんが落ちた、その時。タイミング良く仕掛けた急襲が上手く嵌まり、神田先輩を落とす。その上、傷を負った帯島ちゃんを逃がすために狙撃を仕掛けてきた外岡くんを追ったけれど。いつの間にかこちら側に来ていた隠岐に横から掻っ攫われた。ちなみに隠岐は撃ってすぐ移動したらしく、あっけなく見失う。
「なんやこれ……クソゲーすぎひん?」
 思わずそう呟いてしまった私はきっと悪くない。あれから色んな人が落ちたり、自主的に緊急脱出ベイルアウトしたりした結果、残ったのは私と、水上先輩と隠岐だけになった。ぶっちゃけ、キツイ。辛い。射手と銃手という中距離同士だけならまだしも、ここに狙撃手スナイパーの隠岐が残っているのが辛い。狙撃を警戒しつつ、あの嘘つきブロッコリーとの撃ち合いに勝たなくてはいけない。
 ちなみに「もう緊急脱出したい」という私の要望はすげなく却下されたので、突っ込んで死ぬしか道はないのだ。
「……ま、いっちょやりますかぁ」
 隠れていた建物の影から勢いを付けて飛び出す。突撃銃アサルトライフルを構え、通常弾アステロイドを放ちながら一気に距離を詰めた。弾を撃ち出す水上先輩の「如何にも想定通りです」って顔が妙に癪に障る。僅かな隙を狙って頭を撃ち抜こうとする狙撃を集中シールドで防ぎながら、次の動きを脳内で組み立てた。
 ――なら、これならどうだ。
 徐に、脇に抱えた突撃銃の銃口を下に下ろす。意図が読めなかったのか、水上先輩の反応がほんの一瞬だけ遅れた。その一瞬で、足元に展開したグラスホッパーを踏み、攻撃手の間合いまで無理矢理に踏み込む。その勢いを殺さないようにしながら、前転の要領で地面に手を付けることで体制を変え、水上先輩の撃ち出した弾を避けた。そして、足の裏に生やしたスコーピオンで水上先輩の心臓部分を一気に貫く。頬に軽い音を立てて、ヒビが入り、それはあっという間に広がった。
 「通常弾は囮で本命はスコーピオンやったんか……アカン、隠岐。ソッチ行くで」
 水上先輩の緊急脱出の光を背後にして、隠岐のいる方角に向き直る。突撃銃を脇に抱えたままグラスホッパーを一枚、二枚と展開して順に踏んでいく。周囲の中で一際高いビルの屋上で銃を構えた隠岐は逃げることなく、真っ直ぐにスコープを覗き込んでいた。その光景はまるで、私を誘い込んでいるかのよう。
 あと数歩で私の間合い。狙撃を避けて、引き金を引くだけだ。そう思った時、不意に隠岐が口を開いた。
「   」
 ――え?
 咄嗟にグラスホッパーではなく、シールドを展開する。その上で、シールドを容易く割ったその弾丸は私の心臓部分に穴を空けた。ピシ、と音を立ててトリオンで構築された身体が崩れていく。ひび割れた視界の向こう側で、スコープから顔を上げた隠岐と目が合った。その目は何か言いたげで、でも私に何か言われるような心当たりはなくて。
『トリオン供給器官破損 緊急脱出』
 幾つかの戸惑いを残したまま、私が緊急脱出したことで、唯一人残った隠岐が生存点を獲得してこの試合は終了した。
 背中に緊急脱出用マットの感触を感じて、先輩たちの労わる声が耳に届いて初めて気付く。隠岐が普段と違うトリガー構成をしていたことに。普段セットしていないアイビスでなければ、私のシールドを割ることが出来ないことに気付くまでに時間がかかる程、自分は動揺していたらしい。
「なんやねんほんま……」
 思わず毒づく。スコープ越しに目を合わせたあの時、隠岐が呟いた言葉。あんな言葉ひとつであそこまで動揺するとは。
『やっとこっち見た』
 ――多分、隠岐は私に言おうとは思っていなかったのだろう。あれはまさしく、不意に漏れた独り言だ。だからこそ、動揺してグラスホッパーではなくシールドを貼った私に、思わずスコープから顔を上げたのだ。とはいえ、しっかり撃ち抜いてくる辺り、流石B級上位の部隊で狙撃手を担うだけある。
 ……とりあえず、これからどうしようか。最後の対水上先輩の時の動きを褒める解説者の声を聞きながら、そんなことばかりを考えていた。隠岐と互いに認識し合った今、前までのように関わりを持たずにいる、というのは到底無理だろう。けれど、かと言って。普通の友人のように。三門に来てから初めて知り合ったかのように振る舞うことなど。ひとり、首を横に振った。これが答えだった。

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